2016年04月
2016年04月28日
種は蒔いてみなければ、育ててみなければわからない?
こんにちは!
パフォーマンスアップコーチのナカムラトモコです。
先日、友人と話をしていて、「なるほどな~」と思ったことがあります。
うちの家は代々、職人的な仕事をしているのですが、そのせいか‘お商売’が下手なのです。しかもうちの兄弟全員。
お金を‘稼ぐ’ということに、なんとなく後ろめたい気持ちがあったりしますが、やはり家が‘お商売’をしている子は、そういうメンタル的なブロックもないし、お金を稼ぐセンスがあるよね、と。
でも、最近はどうなんでしょう?
サラリーマンが多くなっているので、親が仕事をしている背中を見て育っている人も少ないしなぁ・・・
そこで友人が言った言葉。
「親の背を見て大きくなるって、ある意味、それ自体が‘英才教育’なんでしょうね」
なるほど~
で、実はこの後すぐに、たまたまテレビをつけた時に放送していた番組で、「ギャル」の若いママが娘(幼稚園児ぐらい)に同じ様な恰好をさせ、自分のギャルママ友と積極的に関わらせ、
で、実はこの後すぐに、たまたまテレビをつけた時に放送していた番組で、「ギャル」の若いママが娘(幼稚園児ぐらい)に同じ様な恰好をさせ、自分のギャルママ友と積極的に関わらせ、
「この子が大きくなった時に、またギャル文化が復活して、
この子が活躍できるように、今から英才教育しているの!」
と言うのを見たのです。
友人との会話の中で出てきた「英才教育」と言う言葉をすぐにテレビで聞くなんて、そのあまりのタイミング良さに、ビックリしたもんですが。
で、テレビのその番組を見て私は正直なところ、眉をひそめたのです。
その幼稚園児の娘も、すっかりギャルの恰好が板についていて、何の疑いもなく振る舞っているのが、「あぁ、こうやって子どもって親の価値観を押し付けられて育つんだな・・」と言うことをまざまざと見せつけられたような気がして。
親の背を見せて育てるって言っても、その親がどんな背中を見せて育てるかによって子どもの人生が変わってくるよね・・・
何やらモヤモヤした気持ちを、このギャルママの番組を見てからずっと心に持っていたのですが、ふと、思いました。
確かに、一見、眉をひそめてしまう(私は・・ね)ことですが、テレビに出ていたギャルママは、娘をギャルにすることが娘にとっても自分にとっても最大の幸福であると‘今’思っているわけです。
で、あと10数年して、双方本当に幸福だと感じることもあれば、このことによって不幸が生じる(?)こともあるかもしれないし、先のことなんてわかりません。
でも、その未来において、今蒔いた種がすくすくと何のトラブルもなくまっすぐ育っていったとしても、反対に、想定外の植物に育ったとしても、刈り取るのは自分。
それを覚悟してようがしてまいが、関係性を放棄する(親子の関係を断つとか)ことがなければ、やはりそれを刈り取るのは自分。
相当困難なことになりそうですが。
でも、困難であればあるほど‘人間としての成長’があると思えるのです。
上手く言えないのですが、
親が正しい背中を見せようとしたって、そもそもそれが正しいかどうかなんて後々にならないとわからないし、でも今の結果は必ず未来にかえってくるわけだし。
良かれと思ってやったとしても、どうなるかなんてわからないことだし、どんな結果になろうとも、それは自分を成長させるために必要なことだとすれば、どんな背中を見せようともOKなのかな?って。
冒頭の話でいうと、うちは職人気質の親の背中を見て育ったので、お商売が下手だと書きましたが、もしかして、親は敢えて‘商人の姿を子どもに見せてなかっただけ’(良かれと思って)かもしれないし、でもそのことによって今私がこういう状態であるのも事実だし。
上手く言えないんですが、要するに何でもいいってことか・・・。
人生は成るようにしか成らないってことなんでしょうね。
だからどんな種を蒔いても、どんな育て方をしてもいいのかも。
あ、もちろん社会に迷惑をかけるような人になる育て方はダメだとは思いますが。
あ、もちろん社会に迷惑をかけるような人になる育て方はダメだとは思いますが。
・・・って思ったんですけど、あなたはどう思われます?

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2016年04月08日
そのままで価値ある存在
こんにちは!
パフォーマンスアップコーチのナカムラトモコです。
今日は駅のホームで電車を待っていた時に、起こった出来事について
書きたいと思います。
この駅では、最寄りに私立の中学校があって、どうもこの日は入学式だったようです。
親と一緒の中学生がいる中、一人で電車が来るのを待っている子もいました。
私はそんな一人の男の子の近くに立って、電車を待っていたのですが、これまた一人で来ていた男の子がその子に話しかけてきたのです。
A 「こんにちは~。 自分(Bくんのこと)、同じクラスやんなぁ?」
B 「う、うん…」
Bくん、明らかに戸惑っている様子。
それをものともせず、Aくん、べらべらしゃべりかけます。
A 「どこ住んでんの?
休日は何して遊ぶん?
え?ゲームとかせぇへんの?
やっぱり、医者目指してるの~?
そういう子、結構(この学校を)受けてるみたいやもんなぁー」
ガンガンというか、ズケズケと相手の懐に入り込むAくんと、そういう人間関係は苦手と見えるBくん。
そしてどっちもコミュニケーションの取り方としては微妙だなぁ・・と思っている私。
そうこうしている間に、電車が到着しました。
乗り込んで席に座り、降りる駅まで寝ようかなぁ・・と思ったのですが、例の二人組の声が聞こえてきます。
気になるので聞くともなしに聞きながら、その子たちの姿を確認しました。
Aくん、思った通り、積極的にしゃべるタイプに見えます。少し、空気が読めないタイプかな?
Bくん、内気な中肉中背タイプ。クラスでは明らかにおとなしいグループにいそうな・・・
・・・と、二人を観察してハッと気付いたのです。
わぁ、私、また‘比べている’。
Bくんに比べてAくんはこうだとか、Aくんに比べてBくんはどうだとか、比べるから何かしらアラが見えてくるんだ!
だったら、比べずに一人ずつを見てみたらどうでしょう?
そう思ってAくんだけを見てみたのです。
うん、普通の子だ。
今度はBくんだけ。
うん、この子も普通にいい子。
比較もせずに、ただ、その人を見る。。。
そんな、‘その人そのものを見る’ということが何と難しいことか!
そもそもその人そのものには、いいも悪いも何にもないのに、比較をすることでいい・悪いが出てきてしまいます。
そして私の場合、この比較癖、自分と他人の間でもよくやることなのです。
人と比べると自分は全くダメだと思ってしまいます。
そしていつも落ち込んでしまって。。。
でも、他人と比較ではない‘私そのもの’を見てみたら?
ただ、こういう特徴・性格の私がいるだけ。
ただそれだけ・・・
そうやって、 ‘私そのもの’を見てみたら、認めてあげたら、電車の中で涙が出そうになったのです。。。
このことに気づかせてくれたあの二人の男の子に感謝。
君たちは、そして私も、そのままでいいんだよ。
そのままで価値ある存在なんだから・・・

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